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2011年3月21日 (月)

うらみと和解の心理学

1.うらみの心理学

誰かに傷つけられたとき、一般に人はその相手をうらみます。ところが、恨むという行為は、憎い相手に両手でしっかりしがみつくことでもあります。

「あいつのせいでこんなに苦しい」「あいつがひとこと謝ってくれさえすれば許してやれるし、自分も楽になれるのに、あいつが謝らないから許してやらない!」と。

自分の人生が苦しみから解放されるのか、逆に苦しいままつづくのか、その決定を、憎い相手の動向に委ねてしまっています。

こんなふうに両手で相手にしがみつくことを、私は《依存》と呼びます。その意味ではうらみつづけることは、自分の人生の決定権・主導権を、最も憎い相手に明け渡すことでもあり、きわめて依存的な生き方をみずから選ぶということです。

苦しみを解消しようとして、人はときに復讐をはかります。しかもしばしばお門違いな相手に。悲惨な例は多々あります。たとえば池田小学校無差別殺傷事件(2001年)、秋葉原無差別殺傷事件(2008年)は大々的に報道された一例です。

2.暴力の心理学

うらみがそうであるように、暴力的復讐も、じつは相手への無自覚な依存にほかなりません。

あらためて暴力とは何でしょうか?「暴力」と聞くと、まずはなぐる・けるといった場面が思い浮かぶかと思いますが、じつはなぐる・けるは暴力の手段であって、暴力の目的は別のところにあります。暴力の目的は、「痛い目に合いたくなかったら黙っておれのいうことをきけ!」と、拒否や反論を許さない関係を相手に一方的に強い、相手の主体性を奪うところにあります。

暴力とは「承認の一方的な強要」であり、「お母さん、ぼくのいうこと聞いてね」と、親におねだりする依存的な子どもと本質的に同じです。

3.和解の心理学

親や友人たちへのうらみにとらわれ苦しんでいるクライアントに、私はときおりこんなたとえ話をします。

――あなたが道を歩いていて、大きな石にけつまずいてころんだとします。あなたは余りの痛さに、ついその大石に怒りをぶつけたくなるかもしれません。でもすぐに、「こんな石に怒りをぶつけてもしょうがないか」と、断念することでしょう。

――さて、あなたがけつまずいたのが「石」でなく、大きな「石頭」だったとします。その石頭にいくら謝罪を要求しても仕方ないことがあなたは重々わかっています。さあそうなると、「決して謝らない石頭」が悪いのか、「決して謝ることのない相手に、謝罪をしつこく要求している自分」が悪いのか、ということになります。

――永遠に石頭に謝罪を要求しつづける人生を選ぶのか。それとも謝らない相手にしがみついている自分を省みて、あきらめ、許すことで自分を解き放ち、あなた自身の人生の主導権を取り戻すのか。

いかがでしょうか? いま私がお話したことをジブリの宮崎駿監督が簡潔に語っています。

「恨むことで人生に挫折しない。恨んでいる相手に自分の人生を委ねない。そんなことになると、人生は敗北だ」と。

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