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2010年12月 2日 (木)

保育園の帰り道、ひかりちゃんとお母さんの対話から

頑張るひかりちゃん 

ひかりちゃんは4歳の女の子。3歳下に妹ののぞみちゃんがいます。二人は毎日、保育園に通っています。

保育園の行き帰り、妹ののぞみちゃんはお母さんが抱っこして歩きますが、ひかりちゃんはいつも自分で歩きます。

ある日の帰り道、ひかりちゃんはお母さんに、

「ひかりちゃん、きょうもおうちまで歩くからね!」

と元気よく言いました。

「ひかりちゃんありがとう。お母さん、とっても助かるわ」

と、お母さんも笑顔で答えます。

「うん!」

ひかりちゃんも明るくお母さんに返します。

でも、このときお母さんはひかりちゃんの声がちょっとばかり明るすぎる気がして、ひかりちゃんに尋ねてみました。

「ひかりちゃん、ホントはお母さんに抱っこしてほしいのを、我慢してくれているのかしらね?」

そのとたん、照れた表情を見せたひかりちゃんは、小さな声で、

「うん」

と答えました。

そんなひかりちゃんにお母さんはもういちど言いました。

「ひかりちゃんありがとう。お母さん、とっても助かるわ」

するとひかりちゃんももういちどはずんだ声で、

「うん!」

と答えました。

甘えとおねだり 

さて、読者のみなさん、おわかりでしょうか? このときひかりちゃんはお母さんに、とっても甘えることができたのです。

ひかりちゃんはお母さんに、「ホントはお母さんに抱っこしてほしいんだけどな」という気持ちを読みとってもらえました。これが「甘えられた」という体験なのです。

もしひかりちゃんがお母さんに、

「ねえ、お母さん。のぞみちゃんじゃなくて、ひかりちゃんを抱っこしてェ」

と言ったとすると、これは甘えたのではなく、おねだりしたことになります。

では、「甘え」と「おねだり」はどこが違うのでしょうか?

甘えは、自分の気持ちや願いを相手に読みとってもらえる・察してもらえる体験のことです。「わかってもらえた」という受身の体験が「甘えられた」という体験なのです。

しかし、おねだりは「わかってちょうだい!」という強引な要求であり、能動的な体験です。

たしかにひかりちゃんは現実にはお母さんに抱っこしてもらえませんが、でも、「抱っこしてほしい」という気持ちだけはお母さんにちゃんと読みとってもらえ、おかげでとても照れくさいほどにうれしくなりました。お母さんに自分の気持ちがわかってもらえていると思えると、ひかりちゃんは頑張れます。

甘えとおねだりの別れ道 

ひかりちゃんが頑張って歩いてくれているとき、お母さんはひかりちゃんに、「ひかりちゃん、ホントは抱っこしてほしいのを、我慢してくれているのかしらね?」と、ひかりちゃんの気持ちを読みとってあげました。だからこそ、ひかりちゃんの思いは「甘え」の段階でとどめることができました。

でも読みとってもらえない日々が積み重なっていくと、さすがのひかりちゃんも参ってきて、「ねえ、お母さん。のぞみちゃんじゃなくて、ひかりちゃんを抱っこしてェ」と「おねだり」が出てきたかもしれません。

おねだりをして抱っこしてもらえると、たしかにそれはそれでうれしいのですが、でも残念ながら、「抱っこしてほしい気持ちは読みとってもらえなかった」という思いが残ります。

つまりおねだりで満たされるのはほんのわずかで、じつは読みとってもらえなかった不満や、察してもらえなかったいらだちのほうが大きく残ってしまいます。

不満やいらだちが残ると、さらにおねだりを続けざるをえなくなります。そしてまた読みとってもらえない不満が残る……。そのくりかえしです。

あげくの果ては、

「お前はなんてわがままな子なの!」

と、親から責められることになりかねません。

甘えでとどめるのか? おねだりに移行させてしまうのか? そこに別れ道があります。

ほめることは支配すること 

もうひとつ。お母さんは、「自分で歩いてくれて、ひかりちゃんありがとう」と、ひかりちゃんに感謝はしていますが、けっしてひかりちゃんに「自分で歩いて、ひかりちゃんはいい子ね」とほめてはいません。

「感謝すること」と「ほめること」とは何が違うのでしょうか?

よく「子供はほめて育てよ」と言われますが、もしひかりちゃんのお母さんが、「自分で歩いて、ひかりちゃんはいい子ね」とほめたとすると、このほめ言葉の言外のメッセージは、「自分で歩かない子は悪い子よ」という意味合いを含んでしまいます。

ちょっと見えにくいのですが、そこには子供に対する親の側のおねだりが潜んでいます。

「ひかりちゃん、お母さんの言うことをきいてね」という、親から子供へのおねだりです。

おねだりはそもそも相手への依存ですが、じつは依存する形で、子供を牛耳り、支配しているのです。「お母さんの言うことをきかないのは許さないわよ!」という支配です。

親は子供たちをほめるという見せかけで、子供が自分の思惑に従うよう、「支配-被支配の関係」を作り出しているわけです。これは上下関係であり、縦の関係です。

協力への感謝 

お母さんは、「ひかりちゃんありがとう。お母さん、とっても助かるわ」と、感謝を伝えています。お母さんはひかりちゃんの何に感謝したのでしょうか?

お母さんが目を向けているのは、「ひかりちゃんがお母さんの言うことにおとなしく従ったこと」ではなく、「ひかりちゃんが家族みんなの生活を維持していくことに積極的に協力してくれたこと」、このことです。

家族みんなの生活維持に、ひかりちゃんも協力すれば、もちろんお母さんも協力しています。ひかりちゃんとお母さんのあいだには、「支配-被支配の関係」でなく、「ともに協力し合う関係」ができています。これは協力の関係であり、横の関係です。

もしかすると、ひかりちゃんの気持ちのなかに「お母さんにほめてもらいたい」という気持ちもあるかもしれません。

ですから、ここで親が「自分で歩いて、ひかりちゃんはいい子ね」とほめてしまうと、「お母さんにほめてもらうためにしたおこない」となってしまいます。

ここであえて親が「いい子ね」と返すのではなく、「協力してくれてありがとう」と返してやることで、「お母さんにほめてもらうためにしたおこない」ではなく、「家族みんなのために協力したおこない」になるのです。

そのことをお母さんはこっそりと、ひかりちゃんに伝えていますし、ひかりちゃんも幼いながらに、心のどこかでそのことを感じとっているかもしれません。

心のなかのお母さん 

ひかりちゃんはお母さんに自分の気持ちを読みとってもらえました。きっとお母さんは常日頃から、そのように心がけているのでしょう。

これを何度も何度もくりかえすうち、ひかりちゃんの心のなかに、「ひかりちゃんの気持ちを読みとってくれるお母さん」が住みついていきます。《心のなかにいるお母さん》です。

《心のなかにいるお母さん》が育ってくると、ひかりちゃんが「お母さんに抱っこしてほしいな」と心のなかで思うとき、必ずしもお母さんがひかりちゃんに声をかけなくても、《心のなかにいるお母さん》が代わりにひかりちゃんに声をかけてくれるようになります。

ですから、ひかりちゃんは心のなかでお母さんとおしゃべりすることになります。

「ひかりちゃん、ホントはお母さんに抱っこしてほしいのを、我慢してくれているのかしらね?」

と、《心のなかのお母さん》が話しかけます。

「うん」と、《心のなかのひかりちゃん》も、そっと答えます。

「ひかりちゃんありがとう。お母さん、とっても助かるわ」

と、《心のなかのお母さん》が笑顔で答えます。

「うん!」と、《心のなかのひかりちゃん》も明るく「お母さん」に返します。

ひかりちゃんは自分で自分の甘えを満たしています。このことがのちのちひかりちゃんの自立につながっていきます。

自立と孤立 

たっぷりとお母さんに甘えられているからこそ、のちのちひかりちゃんは自立していけることでしょう。

しかし、もしひかりちゃんが甘えられることが少なく、いつもダダッコをしておねだりばかりせざるをえないようだと、ひかりちゃんの心のなかに、ひかりちゃんを甘えさせてくれるお母さんが住みついてくれません。

そうなると、ひかりちゃんはなかなか自立できず、まわりの人におねだりを続ける、孤立した人になってしまいがちです。

健康な甘えは《自立》に導き、対人関係を豊かにし、人生も実り多きものにしてくれますが、不健康なおねだりは《孤立》へと導き、対人関係を混乱させ、人生が苦しく実りなきものにしてしまうようです。

――『ふくしのとも』(20073月号)原稿

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